*コメディー汚部屋でござる*

断捨離で脱ネガティブ!を目標に日々奮闘するさまを気楽に書きます。

学生時代

小学校3年生のころ、男性の担任の先生との出会いがありました。

この先生はとっても快活で、流行物を学級に取り入れるのがとても得意な先生でした。

おはスタで流行ったダンス、モーニング娘。のダンス、パラパラ、、、そういったものを使って体育をしたり、レクレーションをしたりしていました。

ボールを触ったことがない状態で入学したわたしは当然体育なんてできなくて、足は遅いしどんくさいしで散々でしたが、この先生のおかげで少しずつ、体を動かすのが楽しいと思えるようになりました。

思えばずっと続けてきたピアノの影響で音楽が好きだったこともあるかもしれません。

 

少しずつ自己主張ができるようになり、気付けばいじめもなくなりました。

クラスの中心にはなれませんでしたが、そこそこ社交性のある自分ができたのはこの時期だったと思います。

 

まだ、うそはついていましたが。

 

 

家の中はというと、仕事に復帰した母とわたしの二人暮らし。

小学校低学年の頃には離婚が成立。

休日はぐったりしている母。平日は帰りが遅い。

当然、どんどん物がたまっていきます。

「出張でお父さんがいない」といううそは、家に友達を上げることもできなくなるくらい、大きな大きな壁となり、誰も遊びに来なくなりました。

友達の家にわたしが行くことばかりで、そのたびによその家はきれいだなあと思っていました。

 

「〇〇ちゃんちはこんなんでね、すごくきれいなの」

と母に言っても、

「あー、〇〇ちゃんのお母さんは専業主婦だからね、おうちのことをする時間がたっくさんあるの。うちとは違うのよ。」

と言われ続ける。

 

そのうちわたしも、片付けなくなりました。

誰かの家にいることが多いし、母がいない時間に留守番をしていても、「ピアノを〇時間弾きなさい」とスパルタな練習をするよう言われていたので、片付ける時間も余力もありませんでした。

 

片付ける習慣のないこどもが、そのまま大きくなりました。

 

父がいなくなってから、気付けば貧乏暇無しな家庭になっていました。

 

 

 

中学生になり、団地だけで構成されている小学校と校区が一緒になりました。

ここで片親の家庭が他にもたくさんあることを知り、安心して「離婚」をカミングアウトできるようになりました。

そこで気付いたのは、今までまわりがあまりにも裕福だったということ。

ここは高級な、新興住宅街でした。

医者、先生、公務員、社長、、、そんな家庭が多く、「離婚」がタブーだったのは大人になってから理解しました。

専業主婦、ママ友ネットワークによって我が家の離婚はきっとすぐに広まるし、それを聞いた子どもからわたしがもっといじめられるかもしれないし、引越しの予定はないので少しでも住みやすくいるためには、「うそ」はやむを得ないことだったようです。

 

 

ただ、今までにできてしまった、「常にうそをついている感覚」はなくならず、生きているのが後ろめたいと思いながらの思春期。

ぶつかることはたくさんありました。ひどいいじめもありました。

自分の矛盾がどうしようもなかったり、自分の存在がつらかったりしたこともありました。

自分の部屋の中だけは、素の自分でいられるので部屋が大好きになりました。

だけど居間は汚くて・・・

 

大学生になり、途中から家を出ました。

母との不仲もあり、家にいるのが苦痛で激安アパートを探し、バイト代を貯めてどうにかしました。

そして実家は、ただの汚屋敷になっていました。

庭は草ボーボー、居間は座る場所がやっとあるだけ、寝室は寝る場所がない、洗面所はほぼ使えない、台所はよくわからない山がある。。。

 

たまに帰って少し片付けても、

「お母さんの家なんだから、手をつけないで!」

と頑固な母。

「片付けなきゃいけないのはわかってるの!でも疲れてるから!」

非正規雇用の臨時職員で時間だけはたくさんあるはずなのですが、いつまでも変わらない母。

すぐに言い訳、泣き言、キレる。

強くは言えなくなりました。

 

自分の部屋をぽつぽつと片付けても、それ以外が汚すぎて・・・。

 

年々悪化し続けていきました。